Mrs.GREENAPPLE「パブリック」の歌詞を解釈してみた。

今日は、人間の醜さをストレートに表現しているパブリックについて考察してみようと思います。
自然の摂理である弱肉強食を意味している
いつの時代になっても人は、戦争や争いを続けてしまう愚かな生き物だ。というメッセージから始まる。
知らぬ間に誰かを傷つけて
人は誰かのために光となる
この丸い地球に群がって
人は何かの為に闇にもなる
という歌詞から
自分や自分の周りの人の利益のために
知らぬ間に他の人を傷つけてしまっているということ
を表現している。
これは、弱肉強食を意味していると思う。弱肉強食だからといって戦争をしても、
復讐などが繰り返されて誰のためにもならない。
じゃあ、僕たちは何を残して逝ければいいのだろう。
醜い可愛さと憂うその瞳の
愛が実ればいいなと
神様が定めたこの世界に
何を残して逝ればいいだろう
この歌詞から自分たちの利益の為に、争い互いに傷つけあうことは生きていく上で
避けられないことなのだろうか?。一体どうすれば互いに幸せに生きていけるのだろう?ということを表現している。
醜いなりに心に宿る、優しさを精一杯に愛そうと、醜さも精一杯に愛そうと
この歌詞から人は自分の関係のない人を傷つけたり、蹴落としたり、して幸せを得ようとする醜い
部分を持っているということも自覚して
人を互いに思いあえば、傷つけあわずに生きていってほしいと感じました。
日常生活でも、意外と当てはまる。
例えば、出世争いで足の引っ張り合いをしたり、
女子が好きな子と仲良くなるために、誰かを貶めて共通の敵を作り利用したり、
現実でも自分の利益の為に人を傷つける場面があると思います。しかしこのようなことをしている
人は、いずれ人に嫌われて自分に返ってきます。
少し話が変わりますが、プロの世界でも同じことが言えます。
タイガーウッズは、相手と首位争いをしていて最後に相手が外せば自分の勝ちになる場面で
「入ってくれ、そしてプレーオフで最高のコンディションの相手と戦いたい」と考えているそうで
す。そういう気持ちで戦っていると調子が良くなるそうです。
逆に「外してくれー」と考えたときは不思議と勝てないことが多いそうです。
このことからもわかるようにお互いに高めあえるように人と接することが
勝負の世界では重要な考え方なんだと気付きました。
まとめると日々資本主義という競争の中で生きている僕たちは相手を傷つけて得た幸せではなく、
できるだけ高めあえるような競争をしていこうということを学びました。
本当の意味でクリーンな競争や戦争のない世界はなかなか作れないかもしれないですが、
それに近づけようと心がけようと思った。