ミセスの道徳と皿の歌詞解釈!

ギターとドラムの導入部分がカッコいい道徳と皿について考察していきたいと思います。空腹勇者のストーリーと歌っている部分のギターの音が最高です。
Mrs. GREEN APPLEの道徳と皿の歌詞解釈
空腹勇者のストーリー
傷を癒せるそのアイテムは こちら道徳の果実
雁字搦めの毎日
「触れた肌も私を嫌うんじゃないか」「疑いを覚えた」
日々嫌なことがあって傷つき飢えながらも進んでいく勇者が登場します。
そんな勇者を癒すことができる道徳の果実が出てきました。
盛り付けられた彩りに溢れた
それは華の様な日々だった
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよわかっては居るけど
“生き抜くには傷を付けなければなの?
どうか「道徳」を今さあ お食べさぁお食べ)
道徳の果実は彩り豊かで華のようであると表現されています。
道徳の果実は大森さんが曲を作って感情を表現したり、生きてきた中で出会った感情の色を表現している。

ベストアルバムのジャケットの写真にも今まで表現してきた曲たちが盛り付けられていたので、これまで表現した感情の彩をみんなにも感じて欲しいという願いが込められていると感じました。
日々傷つきながらも諦めず生きていく勇者たち。
なぜ彼らは報われないことも多い世界を憎めずに生きているのは、人と繋がることで生まれる感情を愛しているからだとこの歌は表現していると思います。
不景気現世の不条理
皆が惑わされる正体は実は狼狽の魔術
壊されちゃったかい? 誰かに
裏切られちゃったかい? 愛に
生きるとはなんだ「見返りを覚えた」
不条理とは筋道や道理が通らない事を表す言葉だそうです。
不景気の世の中では道理が通らないことが多くて、自分が頑張ったところで解決できない問題がたくさんある。
皆が欲を出して目の前の利益の為にあわてふためいている様子を狼狽の魔術と表現しています。
生きていく中で裏切られたり、壊されたりして苦しむのは自分がしたことに対して知らないうちに見返りを求めていたからじゃないの?と問いかけられているように感じました。
意味付けられた 彩りが薄れた
どれが正しいのか教えて
こんな世界を未だ憎めないのは何故か
気づいてるよわかっては居るけど
見返りを求めた瞬間に道徳の果実に込められた彩りは薄れました。
見返りを求めすぎると、自分に与えてくれる感謝や愛情などの感情を受け取った時にその色を新鮮に受け取れないよ。という意味なんだと思いました。
生き抜くには満ち足りすぎているの
「愛」と呼べる本物をさぁ 探せ
瞳で触れれた幸せも 形を失うでしょう
避けられない事でしょう
瞳で触れた幸せな感情たちも時がたつと消えてしまう儚さを表現しているのだと思った。
「壊れた」それでもまたなにかを信じたいな
光と云うには程遠いが
こんな世界でずっと生きてゆこうと思うんだ
温かいモノを忘れないこと
すれ違う思い 泣き合えた「青春」も
そうか「道徳の果実」を食べて
どうかどうか諦めずさあ 笑え
さあ はじめてみて oh, oh
どんな感情も壊れて消えていってしまうけれども、それでもまたその感情たちに会いたいな。
僕たちは空腹で、幸せなことがありたまに満たされることがあっても、また空腹になる。
常に満足することはできなくても、諦めず温かい感情たちに会いに行こうと日常を戦う勇者になってほしいという願いを感じました。
まとめ
受け入れられないような感情や嫌なことであっても、結局一番の原因は自分たちの怯えや不安からくるものが多いんだなと感じた。
ミセスの曲は全部、人の心に寄り添っていて聞いていると感情が蘇ってくる。曲が増えれば増えるほどこの曲が持つ意味も深くなっていくんだなと感じました。