ミセスの我逢人(がほうじん)の考察!我逢人とは禅語!

入りから心に突き刺さる歌詞が流れてくるMrs. GREEN APPLEの我逢人に込められた思いを考察していきたいと思います。
我逢人(がほうじん)とは?
「我逢人」、最初このタイトルを見たときはなんと読むかわかりませんでした。
「われあうひと」と無理やり読んでいました。でも調べていくと「がほうじん」と読み、禅語の一種であることがわかりました。
鎌倉時代に道元禅師という方がいて仏教の修業をしている中で「仏とは何か」「修行とは何か」
疑問に思いました。それを日本中の仏教の師に質問して回りました。
しかし納得する答えが得られず、命がけで中国にわたりそこでも探しましたが見つけられなかった。
二年が経過して諦めて帰ろうとしている時に、偶然、新しい住職がやってくると聞いて最後の望みをかけて会いに行きました。
道元禅師が、その住職(如浄禅師)を見た瞬間に出た言葉が「我逢人」つまりやっと出逢えたと思い、その人のもとで修行や教えを学んで、自分の求める答えを導くことができたそうです。
(詳しくは【禅語】我逢人 ~出逢いからはじまる~)
命をかけて中国にわたり数年たち、やっと恩師に出会えた。この出来事から出会いは大事だという教えが「我逢人」として残ったそうです。
本気の人に出逢うには自分もまた本気でなければならないように、互いに通じ合うものがなければ出逢いにはならない。自分一人だけではどうしても限界があり、固定観念という枠を超えることも難しい。
出逢いは、その枠を超えさせてくれる。(引用元:【禅語】我逢人 ~出逢いからはじまる~)
我逢人という言葉には自分の価値観や考え方の枠を超えさせてくれる恩師との出逢いのことも意味するそうです。
人と逢うことを大切に。
人に逢える場を大切に。
人と逢う姿を大切に。
人と逢うことから全てが始まります。引用元:ヒトトマチトカワ
この表現はものすごいうまいと思いました。
良い出逢いに自分が遭遇したとしても、その時の自分の振舞いや身なりなどが良くなかったら、その機会を逃してしまうかもしれないですね。
良い出逢いのチャンスを逃さないためにも常に自分を磨く必要があると思いました。
Mrs. GREEN APPLEの我逢人の歌詞解釈!
「嫌いになった人は全部 少しの仕草でもダメになっちゃう
気づけば嫌い探しです そんな私の憂いをきれいに洗ってください」
この部分の歌詞は聞いた時に、心に刺さりました。
人の欠点を知らぬ間に見つけて、そこばかりに意識がいってその人自体を嫌いになってしまうことってよくありますよね。めっちゃ共感してしまいました。
よく観察すればその人にしかない長所もあるのにどうしても悪いところに注目してしまうの良くないと思いました。
そういう先入観みたいなものを無くしたいという思いが込められていると感じました。
貴方はその傷を 癒してくれる人といつか出会って
貴方の優しさで 救われるような世界で在ってほしいな
この歌詞は、人間関係で傷つくこともあるけれど、その傷を癒してくれる人と出会ってほしい。
そして、その時に生まれた自分の感謝や優しい気持ちを他の人にも分けてあげることができれば、もっといい世界ができるのかもしれないなという思いを表現していると思った。
そういう出会いはなかなか無いかもしれないけど、我逢人の成り立ちからすると本気でそういう人を求めて積極的に行動すれば出逢うことができると思います。
誰かは出会って誰かは好いて
誰かは嫌って 人は人は
傷を癒して 心撫で合って
人は、人は 笑顔であってほしいな
人間関係で苦しんだり、幸せになったりしながら人は成長していくのかなと思いました。
最後には笑えるように、日々のささいな出逢いでも大切にしていかないともったいないと考えさせられる歌でした。